ミネルバのフクロウは、迫り来るたそがれに「フラクタルの森」から飛び立つ

 「ミネルバのフクロウは、迫り来る黄昏に飛び立つ」とは、ドイツの哲人ヘーゲルがいった有名な言葉である。Minerva(ミネルバ)は、ローマ神話の知恵と芸術の守護神であり、ギリシャ神話のAthena(アテナ)に相当すると考えられている。
フクロウは、ミネルバに仕え世界中の知識を集め、一つの時代が終焉を迎えんとし、古い智恵が黄昏を迎えたとき、新しい智恵を開くために飛び立つ。

フラクタルの森の陰陽学は、まさに、現代に飛び立たんとしているミネルバのフクロウに似ている。理由は、その大きく見開いた目にあり、キーワードは、「両目で見る」事にある。
現代は、あまりにも片目だけで見て、結果を急ぎすぎた為に道を見失い混迷を極めているようです。今一度原点に立ち返り、両目でしっかりと見て深く考え、各人の幸福と素晴らしい社会を造って行きたいものです。

この両目で見る事の重要性を一言で説明するのは難しいのですが、実際の生活でも目から得られる情報は膨大で、もし、目が無ければ大きな不便を感じる事になります。しかも、片目でしか見られないと、平坦な視野となり立体的に正確に見ることがむつかしくなります。

人間の体の機能は、右脳と左脳がクロスして統御しているようですが、この十字架には大いなる神秘が隠されているようです。この宇宙は、全てが「陰と陽」の要素で出来ているという考え方が古来から世界中に有ります。これは、この宇宙を統べる根源の神から発せられている「進歩せよ、されど調和せよ」という理念が具体化しているからのようです。
パソコンが動く要素もゼロ・イチという2進法であり、物質の最小単位と言われている素粒子も反粒子とペアで存在しているとのことでもあり、身近な万象万物を見ても常に2つの要素が絡み合っている事を感じ取る事が出来ます。

人が、何かを決める場合に上の図にあるように「好きか嫌いか」と「プラスかマイナスか」という二つの物差しを当てます。別の表現では「権利」(情)と「義務」(理)の視点ですが、現代は、あまりにも権利中心で見て、それぞれの権利がぶつかり合い、また、結果ばかりを追いかけ弱肉強食の社会と見て、畜生道の地獄世界があちこちに出来て蛇行しています。
両目で見ると共に、その左右の中にも陰陽があり、その世界で正しく両目で見ているかという問題が有るのです。

左目は、空間的要素(他者と自己の関係)を見ています。
右目は、時間的要素(原因と結果の関係)を見ています。
要するに、時間と空間の中で私たちは存在しているのですが、その「いつ・どこで・だれが」という要素の本質を知らなければ正確に物事を見る事は出来ないでしょう。
これは、その人の人間としての器の質と大きさにも関連しています。深く探求しなければならない事は、それぞれの人生を無駄にしない為にもとても重要な事です。
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