従軍慰安婦のウソ

 従軍慰安婦問題でも強制連行され無理矢理性奴隷のように扱われていたように思いこんでいる人がいるが、深く考えてみればとんでもない事です。
これについて、日本国内でもそのような見方をする人たちがいますが、よく考えていない事が分かります。気の毒だ、かわいそうだという感情論だけで結論を出していますが、これも、「陰と陽」の両方で見ていないせいです。
これも結果主義なのです。
表面だけしか見ないと、そのような見方しか出来ないのです。
なぜ?どうして?と問いかけていないから、目に見えにくい部分まで踏み込んでいない。
深く考えない方が、しっかりした結論を導き出しやすいという面が有りますから、仕方のないのかもしれません。同情的な見方をした方が良識有る知識人だと思いこんでいるのかもしれません。
そもそも、ソクラテスの「無知の知」を理解していないのでしょう。
私自身も、当時の事を知っているわけでは無いけれど、現実に有った事を事実として相反する意見も受け入れながら、しかしそれに対して「なぜ?」を繰り返して考えてみると次第に見えて来るものが有ります。

日本には、1946年まで公娼制度があり、それを生業とする人たちも多くいました。
日本本土でも、貧しい農村部ではお金の為に女衒(ゼゲン)に売られ売春宿のような所で働いていた人たちも多かったようです。当然の如く、朝鮮半島は貧しく、政情も不安定で日本に併合されなければやっていけないような状態だった訳ですから、厳しい状態にあったのでしょう。多くの若い女性達が、彼女たちの意志に反して借金のかたに取られこき使われていただろう事は想像できます。彼女たちは高給取りだったと聞きますが、おそらく、家族の借金の返済の為に高利で取り上げられていた事が考えられます。逃げだそうとすれば、契約不履行で訴えられもしたでしょう。もちろん、その女衒という職業には朝鮮人もたくさんいたようです。

沖縄の米軍基地でも兵士の性犯罪に頭を悩ましている現実も有りますが、軍隊の抱える課題に、駐屯地での略奪と強姦の問題があります。武器を持ち、体力もあり、そして、心に不安感情を持っているためにどうしてもつきまとう課題です。
このような軍隊にとって慰安所を営んでくれる娼館や女衒達の協力は、ありがたい事だったはずです。女性達の気持ちは別にしてもお金で割り切って解決が付いていたわけですから。

これは、敗戦当時のことを良く知っている人から聞いた話ですが、横須賀の基地周辺に子供の頃住んでいた人で、進駐軍の乱行ぶりをよく見かけたそうです。女性がひとりで外も歩けなかったようで、親子で歩いていても襲われたりしたそうです。
そのようになることを心配して、アメリカ軍の駐留が始まる前に、当時、公娼制度が有ったのでGHQの要請(命令?)で米軍相手の女性を公募したことが有ったようです。
敗戦直後ですから、生活に困窮した家庭が多かったせいでしょうけれど、この募集に予想を超えた女性達が応募してきたということです。
そのようなアメリカ兵も、1950年に朝鮮戦争が始まり出兵の時に、そのような女性との別れに少年のように泣きながら戦地に赴いて行った姿を見たそうです。いつの時代もそうでしょうが、戦時下では不安感情に支配されいろんな不都合な事が起こるのでしょう。

朝鮮半島は、中国と日本に挟まれ、ソ連からの圧力も有り、歴史的に見るとそれほど安定していた地域ではなかったようです。中国の属国であったり、日本に併合されたり、そして、南北に分断されたり、国民も過酷な運命の中で翻弄されてきました。しかし、その過酷な運命を自分達以外のせいにして解決を図ろうとするのは問題が有る。
国が分断され、過酷な環境に置かれていただろうと思いますが、しかし、未だ過去に併合されたという屈辱にこだわり続け、あたかも日本軍が銃剣で脅し性奴隷として蹂躙してきたかのように見て、被害者意識のままに生きているという事は、問題があると思う。
朝鮮半島に対して日本は、植民地として搾取してきたのではなく、同じ日本として同化させようと巨額の資金を投入して教育施設やいろんなインフラの整備をしていたようです。
私は、韓国人の知り合いも多いですが、顔つきを見ても、彼らと日本人を区別しにくい面があります。在日の人にもひとつの傾向性は有り、朝鮮人としての長所も短所も有るでしょうし、言葉も文化も違っていたので当然差別的な事はあったでしょう。
朝鮮半島の人達は、プライドが高く情にも深いのですが、そのプライドゆえに歴史認識をねじ曲げることは大きな問題を抱える事になる。
それには、冷戦構造下において政治的判断から不満のはけ口を日本に向けさせ、国内をまとめてきた反日教育が影響していますが、そのような暗示教育が産み出すモノは良い結果にはつながるはずはありません。
「親日派のための弁明」(草思社)の著者、キム・ワンソプ氏も言っているように「韓国社会で野放しにされている、このような破廉恥な歴史歪曲と反日策動は、結局は韓国を東アジアの孤児にしていくだろう。そしていつかは、誰もが忘れたいと思う恥ずべき過去となり、歴史の傷跡として残るだろう。」と言っていますが、私もそう思います。

■正しき心の探究

北朝鮮から拉致された5人が帰ってきた時、テレビのインタビュー番組で拉致問題に関する北朝鮮の軍人の言葉が紹介されていました。「日本は、拉致問題の数人の事を言っているようだけれど、日本統治時代の6〇〇万人の強制連行の事を棚上げにしているじゃないか」という言葉を耳にして、私の心の中で起こった現象を見ても、人間というものは深く考える事をしなければ、その耳にした言葉によって、どうしても影響されてしまう事をあらためて実感しました。
深く考えることなく、暗示にかかって認識している事がほとんどである可能性も有ります。
このような言葉をわざわざ放送に載せるマスコミの不見識さも問題ではあります。
マスコミや他者の言説に惑わされず深く考える事、思考停止しないことがどれほど大事なのかということです。
中国のことわざに、学んでも思わなければ問題があるが、思っても学ばなければ、それは危険だというような言葉が有りますが、本当にそうだと思います。

あの戦争を思い返して見た時に、ミクロ的には、「侵略」の面も有っただろうが、世界的に見れば大きな意味が有った戦争だったと思います。マッカーサーが任務を解かれアメリカ議会で発言したように、日本には「自己防衛」のために戦わざるをえなかった面も有ったでしょう。マクロの視点で見れば、人種差別を背景にした西欧列強の植民地政策に歯止めをかけた功績も有ります。もちろん、西欧諸国のまねをして植民地的な扱いをして住民を蹂躙し、自我我欲のために他者を踏みにじるような行為をしたような人たちもいたでしょう。一部にはけしからん人たちもいたのでしょう。
しかし、これはいつの時代にも、どこの国にても常につきまとうことです。
どのような理想的な国家であっても、その中にどうしても犯罪者がでるように、また、
一部には、使命感やら不安感情から道を踏み外し、度を越してやりすぎてしまい、周りに迷惑をかけてしまうような人たちも出るでしょうが、それも、思考停止が原因にあります。
思わず知らずに私たち自身がけしからん存在になる事だってあるのです。

現実は、そのように過ちの多いものだと思います。
しかし、そのまま仕方がないとして放置することなく、真実を探す努力が必要です。
思考停止することなく、常に「正しき心の探究」をする姿勢だけは
「親日派のための弁明」(草思社)のキム・ワンソプ氏のように忘れないでいたいものです。