基地問題を両目で見る

 沖縄米軍基地問題がマスコミをにぎわしているが、これを両目で見てみよう。

以前、神奈川県の基地のそばで初めて空軍機の爆音を聞いた時の印象が忘れられない。
私個人の意見を聞かれたならば、正直言って、左目の情の部分で判断すれば拒否するしかない。
こんなにもうるさいとは思わなかった。
「嘘だろう!」という印象である。
あなたの近くに基地を造ると言われたら、私は反対だと言わざるを得ない。
基地の問題も廃棄物処理場などと同じく自分の生活の近所には来て欲しくはないというのが本音だろう。これは、仕方がない。左目の情の部分での判断である。

しかし、右目の理で見てみよう。
廃棄物処理場も社会の中に必要であるように米軍の駐留も周辺諸国の状況を見ても地政学的に必要である。
日本の憲法9条の縛りの中では、日米安保に頼らざるをえない。
もちろん、日米安保に反対意見で、断固米軍基地に出ていって欲しいとする、無責任な人も多い現実が有る。憲法9条が有ったから今まで日本が平和だったというような愚かな判断をする人も多いようだ。お題目のように「戦争反対」「世界平和」を唱えていればそのようになるわけではない。そのようになる為には、不断の努力がいる。
どのような努力がいるかを考えていない人たちが多い事を憂う。両目で見るべきなのだ。

戦後、世界最強の米軍が日本に駐留していたおかげで、北朝鮮が韓国に南下した朝鮮戦争の時も日本は守られていた。米軍がいなければ、朝鮮半島の次は日本が戦場になっていたはずです。沖縄という地が日本のシーレーンを守るだけでなく、アメリカ軍の運用面においても好都合なのだろう。日本に主権の無い占領下で既成事実として基地が置かれたという背景も有ります。今、新たに国内の他の土地に基地を移す事は不可能な事も有ります。
当然の事ながら、そのような施設を受け入れ続けている場合の地域振興のメリットも与えられているだろう。基地が有るおかげでいろんな雇用も生まれ経済効果も有る。

事実、米軍が撤退したりした町の経済的疲弊はひどいようだ。
基地に支えられている経済も大きなモノがあり、先の基地賛成派と反対派の市長選でもわずかの差しかなかったように、やむなく基地を容認している人たちが多いのも事実であろう。
現政権もマスコミも左翼思想で、左目を中心に見ているようなので、報道は、基地を拒否する意見が沖縄県民の総意であるかのごときに言っているが、それは現実ではないだろう。
沖縄県民の感情に聞いてみれば反対意見の方が多くなるだろうが、しかし、イヤだけれど出ていって貰っては困ると受け入れている人たちも多いはずだ。

基地反対運動に参加している人たちの中には、内地の人も相当の割合でいるようで、もちろん優しい気持ちなのだろうが、感情論だけで反対を唱えているのでしょう。
現実に沖縄で生活している人達の事を責任もって考えている人がどれだけいるだろうか。
考えてみると、沖縄から米軍基地が無くなると都合がいいのは、中国と北朝鮮である。
まさか、そこの工作員か、もしくは、そちらから資金が流れて動いているのではないだろうか。
そんな事は信じたくないが。

片目だけで見る傾向のある人は、簡単にそのような宣伝に乗せられてしまうから要注意です。
情だけでなく、理でも見る事をしなければなりません。もし、日米安保が破棄されて米軍基地が無くなってしまったらどんな未来がやってくるのか、両目で見さえすれば分かりそうな事だけど、常に片目で見る傾向のある人には見えないのでしょう。
尖閣諸島だけでなく、沖縄も中国領土だと言われているのです。
竹島だけでなく、対馬も韓国領だと言われているのです。
毅然とした態度をとっていないと、両国国民にとってどれだけ不幸な未来が待ちかまえているのか目先の事に引っ張られて、事なかれ主義で対応していては、チベットが中国に占領された事例と同じ事を引き寄せる事でしょう。基本は、憲法改正しかありません。
アメリカも自国の都合で日本を見捨てる事ぐらい可能性は有るのですから。