自然界に見る法則 「お役立ち」


植物の世界の中にも,ある法則が有るようです
うちの窯の場所は、5000坪近くある山で元々放置林でした。
その内の1000坪ほどを切り開き、窯を作り家を建て
周囲の山の中に道をつけ、運動がてら整理してきたのですが、
そこで山から学ばせていただいたことがいろいろ有ります。

松の木が多いのですが、色んな種類の樹木が茂っています
それぞれの草木は、それぞれに勝手に生きて。
太陽の光を求めてそれぞれの環境を選ぶかのように生きています。
その中で、太陽の光を存分に浴びようと上に上にと競って伸びていきます。
それぞれに立派な木になろうと競って伸びていきます。
しかし、それぞれの草木にもそれぞれの役目が有るようで、
森が成長する過程で繁茂する種類は移り変わっていきます。

最初は、トゲの有るような植物が森を守るかのように繁茂します。
イバラやススキ、栗の木、タラの木などものすごく繁殖します
それも、次第に大きくなる木が成長し始めると交代していきます。
結果的には生存競争に敗れたかに見えるのですが
時期が来ると他の樹木にその場を譲っていくようです
同じく大きくなる木でも成長の競争に敗れると
十分な光が得られずに衰え枯れていきます
一本の木でも上の枝が成長し日光が当たらなくなると、
その枝は役目を終え枯れていきます
そして、大地を肥やし次のものたちの成長の為の肥やしとなっていきます。
単純に見ると生存競争に敗れ
他者に踏み台にされているように見えるかもしれませんが、
大きな視点で見ると、より立派な森になるために
その身を犠牲にしてお役に立とうとしている姿が見えます
それぞれの樹木達が、その事を意識しているのかどうかは分かりませんが、
全体の流れを見るとそのように見られます
素晴らしい森を造り出そうと全体が努力しているとしか見えません
森全体が、まるで一人の人間、一つの社会でもあるかのように成長しているのです。

この現象の中にもフラクタルの側面が有り
私たちが学ぶ事がいっぱい有るようです
さらに、フラクタルの森で陰陽に分けて見ると
それぞれには成長し伸びていく「権利」と
より偉大なものへ貢献していくという「義務」が与えられていると見れます
その結果は、意識しようがするまいが、より素晴らしきもの
より偉大なものに貢献しようとする義務を背負っているということのようです
その様な法則の元に、この世界は成り立っている

刹那的な視点
狭い時間と空間に立って見た場合は、そのように見えないでしょうが、
大きな視点でそれら全てを見る努力をしてみると、そのように見えてきます
これは、動物の社会でも人間社会でも一緒のようです

人は、どうしても、個人が得る事の出来た成果でもって
全てを推し量ろうとしがちですが、どうやら、そういうものでは無いようです
有る意味、社会の歯車の一部として世界を動かし
協力しながら、この社会全体を素晴らしいモノに
神の作られたこの宇宙を光り輝くものにしようと努力しているのではないのだろうか
たとえ個人の目先の成果が奪われたかのように見えても
そこには、大きな意味が有る

過去、数え切れない人々が、それぞれのその場所で一生懸命に生きてきました。
ほとんどの人が、自分の一生を生ききることで精一杯だったでしょう。
しかし、その人々の生きてきた営みが生み出してきた
知恵や生産物によって、今が在ります
現代の科学技術であっても、過去の人たちの積み重ねたものが基盤に有って
次の人たちがその上に実績を重ねてこられたのです。
いま、仮に、過去積み上げられた知恵の資料やその生産物を全て消し去って
最初から元の状態を創 り出せと言われてもおそらく不可能でしょう。

現実の私たちの魂は霊であり、永遠に転生輪廻しながら修行をしているようですが
生まれてから死ぬまでの、個人の人生も
魂全体の成長に貢献しようとして、苦しい人生にも耐え
たとえ表面的には幸福の少ない人生のように見えたとしても
大きな目で見るとかけがえの無い、偉大な貢献をしているという事のようです
魂全体にとってかけがえのない経験を加えているのでしょう

山も、人も、部分と全体という陰陽の見方をすると
どうやら、神様が作られている仕組みが何となく見えてきます