フライフィッシング、という釣りがある。
はるか昔の英国が発祥と言われる釣り方で、鳥の羽や獣の毛などで釣り針を昆虫や小魚などに模したものを餌として使うのが特徴だ。
糸の先についているその毛鉤が極めて軽量なため、先端物の勢いで遠くにそれを投げることができないため、やわらかい釣竿と重い道糸を用いて遠投する…

などなど、専門の解説書だとかマニアックなホームページなどをチェックすればこれくらいの知識はすぐに手に入れられると思うが、ここではそういった当たり前の事は書かないのだ。


フライフィッシングの楽しさ。
それは自虐的ですらあるのかもしれない。

ちょっと遠投するにも、その独特なスタイルのため非常にテクニックを要する。ルアーフィッシングなら全く問題なく簡単に遠投できるし、日本独自のみゃく釣りなんてのも釣竿を長くして対応するというまことに分かりやすいやり方でロングレンジに対応しているにも関わらず、である。
芸術的で手の込んだ毛鉤を使うメリットもあるにはあるが、圧倒的に通常の餌に魚の注意が向くのは必然だろう。

つまり、釣れないやり方なのだ。
21世紀の世の中にあって合成繊維ではなく鳥の羽なんかで毛鉤を作り、炭素繊維で出来た合理的な釣竿ではなく竹竿なんかに数十万円をつぎ込んだり…。
これをやっている人物を「変わり者」だとか「偏屈者」と言わずしてなんと言おうか。


しかしである。その偏屈なフライフィッシャーからひとつ言いたいのだ。
ちょっとイメージしてほしい。

…4月の夜、夕方からしとしと雨が降り始めた。
幸い、困難を極めた仕事にも一段落ついた。家の書斎には、うまいシングルモルトウイスキーが待っている。
あなたは帰宅して食事を済ませ、書斎に行く。
どっしりとしたグラスにそのウイスキーを注ぎ、その香りと味わいを楽しむ。
そして、書斎のデスクの上に乗っているのは毛鉤を巻く為の器具、バイスだ。

いつものあの川の、あの瀬では今頃の時期だとどんな水棲昆虫が羽化を始めているだろう。以前の釣行の時、帽子のつばにそっと舞い降りたあのかげろうを模してみるとしようか。
引出しから取り出したフランスの鶏の羽が色合いやイメージに合うようだ…。

そうしてあなたは時々グラスを口に運びながら、4月の夜の雨音を聴き、静かな書斎で遅くまで毛鉤を巻いて過ごすのだ。
明日の釣行をイメージしつつ過ごす豊かな時間。何ものにもかえがたい、あなた個人のための時間。



…とまぁインチキ雑誌風に書いてみたが、毛鉤を巻く楽しみってこんなかんじなのだ。
この楽しみですら、フライフィッシングという遊びのわずかな一部分に過ぎない。

苦労が多ければ得る喜びも大きいもので、ルアーで釣り上げる5匹より自分で巻いたフライで釣る1匹の方が尊いのだ。
と、フライフィッシャーマンは信じているからこそ自虐的とも言えるやりかたを続けられるのだ。

俺はフライやってるから多分偏屈者だ。
誰か一緒に釣りに行きませんか?とは到底言えないのである。


著:戦車




戻る