皆さんは人生経験において「もうダメだ!」というような絶望の淵に立ったことがあるだろうか。
学校受験や就職試験においての失敗、大切な人との離別…。
これから書くのは、そういった心を揺さぶる悲しい出来事ではない。

腹痛である。

腹痛だからといって馬鹿に出来ないんだぞ。
どうしようもないときにこそヤツらは襲撃してくるのだ。


ある後輩の話。
彼は長距離自動車通勤をしていた。
仕事のプレッシャーのためか、それとも生来の胃腸の弱さが原因なのか。通勤時に必ずといっていいほどの腹痛に襲われるそうなのだ。
その時感じるウェイヴ。そう、ヤツらは波状攻撃を仕掛けてくる。
いったん苦痛のピークを味わっても、しばらくその苦痛を耐えるうちに波の頂点を越し、彼は安堵する。あぁもう大丈夫だ。
しかし。
悪魔はその攻撃を止めることは無い。
再び遅い来るウェイヴ。今度はさっきのより厳しい。路面からのショックが先ほどから苦痛を増加させている。国土交通省はなぜもっと路面をつるつるにしないんだ!
その血走った目に映るのは周囲から気付かれない感じの草むらか、工事現場のトイレか。緊急時のためのティッシュは用意してある。いざとなったら千円くらい払ってでもいいから民家へ飛び込むか。
車内での最悪の場合を想定しつつも、社会人としてそれだけはやってはならないという自制心との狭間にめまいすら覚える。だが頼れるのは己の精神と括約筋だけだ。隣を轟音と振動を立てながら荷を満載したダンプが通り過ぎる。頼むから揺らさないでくれ!
その緊張が極度に達し、まさに「もうダメだ!」と叫びそうになったとき、ようやく彼は会社の駐車場にたどり着くのだそうだ。毎朝のことである。

その彼には彼女がいるのだが…。
彼は心配する。

デートの時に、もし、仮にウェイヴが襲い掛かったら。それが伝説のビッグウェイヴだったら。

…ドライブの途中、突然涙をはらはらと流す男。
「どうしたの?」とたずねる女の鼻腔にどこからともなく異臭が検知されるのも時間の問題だろう。
「降りろ!今すぐクルマから降りてくれ!」叫ぶ男の目に涙が光る。
わけもわからぬままタクシー代をつかまされ、クルマから降ろされる女。そしてクルマはいずこともなく走り去る。

以来、彼女は彼と会ってない。



なんてことになりかねないと思っているそうだが、彼女は「まぁそんなことになっても別にどうということはないよ」と言ってくれたらしい。
いい彼女じゃないか。なんとなくきれいにまとまってしまったぞ。

こうして人類最大の危機は、危機を迎えることなく収束したのであった。


著:戦車




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