クジラを捕って、考えた という本がある。
作者は川端裕人。もとは日本テレビで働いていた人物だと言うことだ。

これは捕鯨という問題にまっこうからぶつかる熱い話と言うわけではなく(一応ちゃんとぶつかっているが)、クジラ好きがこうじてクジラを見るって事をきっかけに捕鯨船に乗り込んでいくという話なのである。


で、ここで極めて難しい捕鯨問題をとりあげるのではなく、俺が取り上げたいのは捕鯨や漁獲という問題に今のネットワークロールプレイングゲームも関連付けて考えることができるのではないかと思うのだ。



捕鯨と言うのはかつてある国際ルールにのっとって行われていたのだが、それはつまり効率のよい大型のクジラを優先的に捕らえるということを助長するに過ぎなかった悪法であったようだ。
大型のクジラはその個体数を激減してしまい、次第に中型のクジラにターゲットが移行していくことになるのは必然と言ってもいい話で、もちろんそういう方向に世界は動いていくのだが、やはりそれぞれのターゲットとなったクジラは個体数を減らしていく一方であった。
そこで、新たな国際協定が生まれ、捕鯨に新しい網がかけられることになったのだが、世界は食肉としてのクジラを求めている国を除いて禁捕鯨への方向へ動いていく。
そこからはご存知のとおり、風当たりの強くなった日本は「調査捕鯨」なるもので捕鯨技術や優秀な人員をどうにか維持していく格好になるのである。

調査捕鯨という行動。
それすらも批判の対象になるものではあるが、重要な役割を果たしている。

クジラを漁獲対象としてみる場合、かつてのような乱獲に次ぐ乱獲を世界で行っていたのではどんな資源でも枯渇してしまう。
そこで生息海域や固体の増加数、生殖年齢や一回の出産での出生数などを明確に知ることができれば捕獲できる数も算出できるであろう、という考え方に基づいた調査なのだ。

そういう重要な調査を日本は行っているそうで、なかなか大変な仕事ではあるのだ。
魚に関しても、もちろん漁獲リミットと増加数のバランスをちゃんと把握できれば、毎年ある程度決まった数の漁獲高が見込めるはずだ、というのが今の世の中の考え方らしい。



で。
ゲームの話に戻る。
ネットワークロールプレイングゲームというジャンルのゲーム(実際俺も遊んでます)では、「敵」という概念でプレイヤー以外の登場するクリーチャーをやたらめったらにやっつける。
それは経験値というプレイヤーの成長を促すポイントになったり、ゲーム中の通貨を落としたり、はたまたレアな武器や防具なんてものまで出したりもするのだ。

もうそろそろ無差別な略奪や殺戮というものから脱却してもいい頃なのではないか。ゲームですらも。

プレイヤーとして尊敬の念を集めるのは、高い能力でもなく、レアなアイテムで身を固めることでもなく、高い技術で敵を仕留める事でもない。
クリーチャーの生息数や増加数を把握して、ターゲットにしてもいい個体数を指示したり保護できる人物(リーダーといってもいいかも)こそがキーパーソンとして存在する、そんなゲームが近年登場するのではないかと俺は予想しているのだ。



著:戦車




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