郷土史の読み方 有名人が登場する郷土史は、それ一辺倒になりつまらない。 行政による建築物は持ち上げ過ぎるので読み飛ばす。 宗教関連は読み飛ばし、民間信仰に着目。 書き手が一般向けを心掛けているか、行政観光に寄っているか見極める。 --- 高梁の郷土史 --- 「 国宝 備中松山城 」松山城址保存会 昭和16.5.5 定価50銭 明治以来、朽ちるに任せた松山城を昭和14-15大修復して16年国宝指定。 当時の国宝区分は、現在の重要文化財。旧仮名遣いの小冊子。図書館にあるだろう。 「 高梁市史 」 増補新版はいまいち。旧版が図版多く内容も良い。 「 中井町史 」 手書き原稿を複写して綴じた個人製作本。 内容が非常に良いので誰かPC打ちして欲しい。1部欲しい。 「 巨瀬町史 」 昭和45.12.25 明治100年記念 年表形式で一般向けの内容。人力車や車、書き添えられた電化製品の町への登場が参考になる。 明治4断髪令が進まず、6年に警邏巡(巡査)が見つけ次第切り落とした。 明治5太陽暦採用、褌姿が外国人に恥ずかしいので裸体禁止令が出されるがなかなか止まない。 虎列刺(これら)流行の際、虎退治には狼と、狼を祀る神社に人が殺到。 大正6夏に小学3年横見君が初の洋服姿で登校するが囃し立てられ止める。全員が洋服姿となるのは大正11頃。 駅前通りからつながる高梁大橋、昭和45当時に念願の着工。江戸期に橋は軍事施設のため禁止されていた。 --- 参考資料 --- 「 全国アホ・バカ分布考-はるかなる言葉の旅路 」太田出版1993/新潮文庫 松本修 アホバカ表現の全国調査、アホとバカの語源を辿る旅。読みやすく非常に良い内容。 全国の教育委員会へのアンケートでの例のない大規模調査により、京を中心に同心円状に残る類語を解き明かす。 同市内であっても中心地と山間部では異なることも多いが、その後の自治体大合併により同じ規模の調査は2度と出来ない。
--- 古地図の作成 --- 歩き道 高梁市内の道は20-30年前に整備された道が多く、それまで町中1.5車線を譲り合いながら車が行き来していた。 町を斜めに渡る新しいくるま道を、新たな基準として次の時代の町並みは作られる。 古い道は何百年と続く歩き道。時間が取れれば整地鋪装前の街の地図を作り残したいのだが。 年寄りは道が良くなり便利になったとしか言わないが、地神や社をかなりの数動かしている。 昔の人には土木の技術がなかったわけではなく、地のなりに神性を感じ取り、あえて触らなかった。 これからでも若い者が「土を動かすとたたりがある」と、年寄りを止めたられたらいいのに。