八丁畷(はっちょうなわて)の準平原面
716-1241 吉備中央町吉川字北正行、字南正行、字西庄田

八丁畷の準平原面
岡山県内陸部で採取される化石群は、千万年、億年単位の大昔、あたりが海中に没していた時代があったことを物語っています。その海底が大規模な造山運動により、地表面に姿を現し原初の大地となります。
隆起や浸食が何度も繰り返され、中国地方は、今から500万年前頃には、ほぼ海水面に近い「中国準平原」とよばれる緩(ゆる)やかな起伏をもつ平原となり、その大地が隆起し吉備高原が誕生しました。
やがて、雨水が数多くの小河川となり、吉備高原に深い谷を刻(きざ)んでいきました。しかし、高梁川流域と旭川流域との分水嶺(ぶんすいれい)となる、賀陽町吉川には、その浸食の影響を太古からほとんど受けていない、のっぺりとした珍しい地形が残りました。
なだらかな高原丘陵の連なるロケーションの中、ほぼ高原頂部の標高(320m)にありながら平らな水田地帯が、面積6平方キロメートルにわたって広がる「八丁畷の準平原面」です。ここにはいずれの大河川の浸食も及ばず、何百万年前も前の隆起したばかりの中国準平原の姿が今も残されています。
河川の運ぶ土砂によって形成された岡山県南部の平野の地史が、数千年、数万年レベルであるのに比べ、同じ平らな地形とはいえ、はるかな太古の日本地史を実証しているのが、この八丁畷なのです。
八丁畷の準平原面」は、昭和31年に岡山県の天然記念物に指定されています。
・畷(なわて)とは、田んぼのあぜ道のことです。「八丁畷」の名前の由来は、田んぼのあぜ道がほぼ南北を8町(約870m)続いていたことからだと思われます。