農への道
1999年夏。
私、森田充司はサラリーマンを卒業し、
農業を始めるため岡山県上房郡賀陽町に移り住む事を決めました。
親も親戚にも農業をしていたものはいません。
栽培技術もないまま、知り合いもいない、住む家すらもない町へ・・・
私たちが農業を始めるまでの軌跡を
、気持ちの移り変わりと共にご紹介します。
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また、農への道・写真館では、 農業に取り組む私たちの日常を 臨場感溢れる写真でご紹介しています。 |
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日付 | 出来事 | 内容 | 感想 |
いつだったか? 1996年頃 |
テレビで脱サラ就農者の番組を見る。 | いつだったか思い出せないが、(ニュースステーションの特集だったと思う)、脱サラで農業を始めた家族のドキュメント番組を見た。確か、京都府の北部でたばこを栽培していた。就職や転職に関する仕事をしていたので、実際にそういう若者が増えているというのは知ってはいたが、この番組を見たとき、妙にリアリティーがあった。でもこの時はキャンプに行くくらいの感覚で農業をとらえていた。 | キャンプにはよく出かけたけど、キャンプに行くのと、田舎に住むというのはちょっと違うような気もするし・・・ |
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これまた、いつだったか? 1997年頃 |
会社の友人O氏との話 | 会社の同期O氏から、奄美大島の胡蝶蘭農家の話を聞く。何でも、都心が冬の間だけ暖かい島で胡蝶蘭を育てるとのこと。ものがない時期だけに結構儲かるとか。この夜は、一緒に胡蝶蘭でも作るかと盛り上がってお開きになる。 | 農業って自由な時間があるんだよなと改めて思った。 |
1998年9月 | 30才の誕生日を迎える。 | いよいよ30才。これまでも考えてなかった訳ではないが、やはり、30才というのは節目じゃないでしょうか。今後の人生について真剣に考え始める。「サラリーマンを続けるか、それとも何か商売でも始めるか・・・」 会社を辞めるのも勇気がいるが、会社に残るのも同じく覚悟がいると考え始めていた。 |
もともと、定年まで勤めようと思って就職した訳じゃないけれど・・・ |
〜 | 農業について真剣に考える | 農業で暮らしていけるのか、またどうすれば農業を始められるのか、そして何より愛妻はそれを理解してくれるだろうか?いろいろなことを考えては忘れ、忘れては思い出す、そんな期間が続いた。この頃から、いつか農業をやってみたい、という気持ちが固まってくる。 | 妻もキャンプが好きで、静かなところで暮らしたいなあ、なんて話をしていた。 |
1999年2月 | 早期退職制度の対象年齢となる。 | 会社の早期退職制度(OPT制度といいます)の対象年齢が30歳、つまりその当時の自分の年齢まで繰り下がった。勤続5年以上かつ30歳以上で権利が発生するこの制度により、通常の退職金以上の資金(制度の理念では独立するための開業資金や留学などの資金と考えているので退職金の増額ではない)を手にすることができるため、今後の人生を考えるきっかけとなった。 | 会社の仕事は好きだったし、やりがいもあった。その一方で40歳、50歳まで同じ会社で働くイメージはなかった。 |
〜 | 妻と話し合う | 農業を始めることを決意。これまでもぼんやりと農業をやってみたいという思いはあったが、妻と将来について語り合う中で、自分自身が本当に農業がやりたい気持ちになっていった。 | この時、妻は「やりたいことをやったらいい」と応援してくれたが・・・ |
〜 | 新規就農に関する支援制度の情報収集。 | 農業を始めるため、各方面から情報を集める。地元、京都府農業会議や関西・中四国地区の各府県に農業に関する問い合わせを開始。その後、各地の支援制度を調べると、温度差がかなりあることに気がつく。やはり過疎化が進んでいる地域(県・町・村)は問題意識も高く、他に産業がないためか新規に農業を始める人たちに対する支援体制ができているようだ。この時、岡山県に「緊急担い手対策事業(通称:ニューファーマーズ制度)」があるのを知る。 | 全国どこでもよかったのだが、関西人の私は、心情的に関ヶ原より東に行く気になれず、まず関西以西に地域を限定した。 |
1999年3 月 |
上司に退職の意志を伝える。 | あとは、「いつから始めるか」「どこで始めるか」が問題としてあったが、とにかくこの年の新規就農支援制度に申し込むことを決め、夏には退職するという意志を伝える。 ※相談に乗っていただいたH氏に、この場を借りてお礼申し上げます。 |
いざ、退職を決めると、不安が募ってきたのも事実。本当に大丈夫なのだろうか? |
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