なぜ?桃源郷構想なのか

<福祉活用農村型リゾート構想> が価値を持ち成功するだろうと思われる理由

 

ただの農村型リゾートではなく、単なる自然回帰願望、福祉偏重の考え方
でもない。楽しいだけでなく、未来社会へ向け理想社会を提言していける施設
としたい。そのために、積極的にボランティア活動を取り入れる。
何故このようなことを考えるに至り、何故成功すると思うのか、大きな理由が
二つあります。

一つは、
「人の役に立つ」ということが最大の幸福であるという本来人間の
持っている性質にあります。どこの国の人であれ、善人であれ、悪人であれ、
どのような肌の色をしていようと、みんな、人の心の中、潜在意識の
奥の方には、「人の役に立てる」ということが大きな幸福であるということを
知っています。

それが、この3次元生活の荒波の中で、なかなか表面意識まで出て来れな
いだけで、心を澄ませて考えて見れば誰もが異論をはさめないはずです。
自慢する心なども、元々は「自分は、お役に立つ人間なんだ」ということを
知っていただきたいという思いが焦った心の部分からでているものです。
元々、人の心の中には素晴らしいものが在るのです。
そのことを、ボランティア体験などをきっかけに気づいてほしい。
おいしいものを食べたり、旅行をしたり、どのような肉体的欲望を満足させ
ようとも、この幸福に比べようもありません。

プライド、他から認められたいと思う気持ちの源泉は、おそらく、ここにある。
人のために役に立ちたい、現に役に立ったという事を認めていただきたい、
実感したい。仕事もそうです。(愛を与えることの幸福)
他の幸福に貢献できることが、真なる幸福だという事を誰であれ心の奥では
知っています。
それを無視した幸福などむなしいことだという事も……。
どれだけ財産を築こうとも、どれだけ名誉を得ようとも、どれだけの仕事を
しようとも、それが、本当に他の人の幸福に貢献できなかったら、役に立て
なかったとしたら、有用でなかったら、心の中を乾いた冷たい風が吹き抜け
ていくことを……。
現代では、みんな知っているはずの事が忘れられている現状です。
実存主義的、唯物論的考え方が蔓延してきて、あまりにも表面的になり、
結果中心になっているからではないでしょうか。
権利意識が強くなり、個人主義が強くなっているせいで
もあるでしょう。
人生の本当の目的は、他の為に役立つ事が出来るという、この真なる
幸福を得るために、その感動のためにあるのに、その手段や、途中の
結果に目を奪われ、逆転している。
目的と手段が逆になっている。
このことが、世の中で起こっている多くの問題、悩みや苦しみ、いさかい
の原因でもあるし経済活動の疲弊を招いている根本原因だと思います。
企業の目的とは、利潤追求であるかのごとき見方がありますが、
とんでもありません。
人のお役に立つサービスや商品を提供するからこそ結果としての社業
発展がある。そのサービスや商品を求めて、お金も循環してくる。
その有用なものの供給を、継続していくために利潤を上げ、さらに
多くの人々に役立てるためにこそ発展が要求される。

福祉とかボランティアということが、企業活動、商売など、この世的な事と
対比されて大切な事のように言われていますが、とんでもない間違いです。
そのように喧伝している人たちの意識の中には利用しようという心、
お為ごかしになっているようなところが有ります。
誤解をしているのです。
企業活動や商売といった中にこのような要素が無ければ、恒久的な繁栄、
発展は無いのです。福祉とかボランティアという言葉は、キリスト的に言えば
「慈悲」でしょうし、仏教的には「布施」こあたるでしょう。

企業理念、経営理念の中にこれらが無ければ社会が素晴らしくなるという
事は決してありません。

 政治家は、返り血を浴びようとも世のため人のためになる政治を行うのが
聖なる目的なのに、その前段階の手段である所の、選挙に当選する事が
目的になってしまって、金集め、選挙民、マスコミに媚びる事が仕事になって
しまっている感がある。
もちろん、選挙に金がかかり過ぎたり、人の愚かな心、たかり波動のお先棒を
担がされているということを気の毒には思いますが……

この、桃源郷構想で、目的と手段の逆転現象の修復の一端でも
お手伝いが出来ればと考えています。そのためのボランティア体験
(文部省の進めているボランティアの考え方には異議あり) であり、
いろんな体験をとおして日常と違った別の視点から自分自身の心の奥の、
真実の自己に出会っていただける機会を持って戴ければ、少しは世の中
も変わっていくのではないかと思います。
ただボランティア体験をして戴いただけで、事足りるとは思いませんが、
いろんな視点から、いろんな「物差し」を手にして戴くことが出来れば、真に
多くの人の幸福に貢献できる力となって戴けるのではないでしょうか。

各種セミナーとか、農作業、陶芸、いろんな事が有るでしょうが、深く考えること、
時間と空間の座標軸を変えて、違った物差しで見つめる事が出来れば、
どのような単純な事の中にも素晴らしい学びが有ると思います。

 もう一つは、やはり、人の
心の潜在意識にあるところの「心の原風景」です。
どのように科学が発展しようとも、世の中が便利になろうとも、生活様式が
変わろうとも、やっぱり、心の奥では知っているのです。
私たちが本来住んでいる世界がどのような世界であるかという事を……
大自然の中、ミクロとマクロの宇宙の中で育まれ、共に生き、生かされ
ているということを……
とうてい自分一人では生きていくことの出来ない現実。
天体の運行によって季節があり、万象万物が生かされ、緑が有ることに
よって呼吸が出来、動植物も生かされ、体の中や至る所で微生物の働きが
あるおかげで私たちの生活もある。
いろんなところで支えあい、尽くしあって、それぞれに役に立とうという意志を
体現しょうとしている存在。
そのような、自然の中に偉大なる父母を感じるのかもしれません。
兄弟愛を感じるのかもしれません。
ゆりかごに揺られている気分かもしれません。
たとえどんなに夢のような未来社会が訪れようと、逆に、調和を求める
気持ちが自然と親しむことを求めてやまないのでしょう。
素晴らしい進歩を遂げようと思ったら、素晴らしく調和する事が必要なのだ
と思います。

何故、桃源郷構想なのかという事を二つ述べましたが、どちらにも共通して
いえる事、キーワードがあります。
それは、「感謝」です。

この
桃源郷構想のテーマは「感謝」
「感謝」の発見でもあります。

心の底に感謝の思いなくして、耳障りの良いこと、世のため人のため
と言っても、それは、ただのお題目になってしまいます。
感謝の心なくして、沸々とした情熱は湧いて来ようがありません。
湧いてくるのは欲望を内に潜ませたあぶくかもしれません。
どれだけの感謝の発見につながる体験をしていただけるか、そこが
ポイントになると思います。そのためにも、このことに関わっていく
人達がどれだけ感謝の発見をしているかにかかってくると思います。

とても難しい問題のように思えますが、自然とのふれあいの中に、
ボランティア体験の中に、各自の中にある心の源風景、大調和の
世界へ入って戴くための入り口があり、この世界に入って戴くことが
出来れば、ただ単に楽しいだけでなく更なる価値を持ってきます。
それが、このクラブの発展につながり、社会のためにも役立つもの
と信じます。

 仏教の「涅槃経」に「一切衆生悉有仏性」という言葉が有ります。
すべての生きとし生けるものには仏性が宿っているという意味ですが、
その仏性に訴え掛けることが出来れば、その仏性を呼び覚ます事が
出来れば、この桃源郷構想も成功するでしょうし、社会にも貢献でき、
より有用で価値のあるものとなっていくでしょう。

楽しくて、何らかの心に伝わる感動を提供できれば,社会の健全な調和
のとれた発展のために寄与することも出来るし、休耕田対策、福祉事業を
含み、地域振興にも貢献でき,全国至る所で展開できるのではないでしょうか。
その地方独特の文化,産業,風土を取り入れながらその地方ならではの
独特で楽しいものが出来上がってくると思います。


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