「深く考えるということ」

人は、何かを考える時に感覚的なものと理性的なもので判断します。
これは、右左脳の特性と言われるものにも関連しているようです。
基本的には、好き嫌い(感覚的・右脳的要素)損か得か(論理的・左脳的要素)で選びます。
全ての存在は陰(調和・空間)と陽(進歩・時間)で成り立ち、
比喩で突き詰めると左目は調和(情・好き嫌い・優しさ・権利)
右目は進歩(理・損か得か・厳しさ・義務)を見ている。

これを、また突き詰めると、上図のように
空間的な「他者や環境と自己」の関係と
時間的な「原因と結果」の関係を見ている事になります。

これは、5W1Hにも関連している事が分かります。WとHの世界、陰陽に分かれます。
マインドとスキル、心と技とも翻訳出来るでしょう。
渋沢栄一の「論語と算盤」にも通じます。
そして、人間が持っていると言われている悟性・感性と知性・理性の関係に当てはまり、
釈尊や釈迦弟子が悟りを開く為に使った四諦八正道とも深く関係しています。

言葉や文章を作る時も必ず、
この「何時、何処で、誰が、何を、何故、どのようにして、どうなった」
という要素を埋めていく事になるように、結局の所、深くよく考える為には、
この7つの要素が正しいもので埋められている必要があります。

そして、人間は、思慮深くあったとしても多くの間違いを犯します。
その原因はどこに有るのか考えると、見えにくいものが見えない為に判断を誤るようです。
その見えにくいものを整理すると次の3つが有る。これらも陰と陽の関係です。

@人間的要素・・・混ざっていて見えにくいもの(情と理)
A空間的要素・・・離れていて見えにくいもの (他者、環境と自己)・・・右脳的要素
B時間的要素・・・重なっていて見えにくいもの(原因と結果) ・・・左脳的要素

私たちが、判断を間違え人生を狂わせ、国、民の行く末を不幸なものとしない為には、
深く考えなければなりません。人、時、所を間違えることに多くの失敗はあります。
それも、現実の違いだけでなく、その表面的な違いを支えている根本から
正しく見なければなりません。

それは、思想であり「悟性」の内容です。
この前提の基礎を正しく見ないと、大きく蛇行する事になります。
その思想が間違っていると、よかれと思って行動しても逆の結果が出てしまうからです。
この前提が最重要課題であり、ここをおさえることなく真の成功は無い。
これは、悟りの探求、心理の探求でもあります。

多くの人は、このところを深く考えることなく、日常の判断をされているように感じますが
この前提に違いがある事が原因で議論がかみ合わなくなってくるのです。

時間(いつ)  永遠か瞬間か?(死後の世界は有るか?)
空間(どこで) 有限か無限か?(天国地獄は有るか?神仏の存在は)
人間(だれが) 偶然か必然か?(人間とは何か?目的を持って創造されているのか)
課題(なにを) 偶然か必然か?(人生とは何か?単なる偶然の出来事でしかないのか)    
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