陶芸

土から生まれる

「人はなぜ生まれ なぜ生きているのか?」
この問いかけは
人類にとって 永遠のテーマではあるが
その答えは 陶芸の中にもある

器は 土(地球)から生まれ
人も 土(地球)から生まれ
土にかえる


我々 この地上生命の存在に
天意を見るならば
陶芸家の思いが 
その器に込められているように
天が 私たちの魂に 込められたる
その念いにも 似たものがあるだろう

土にさわるとき
少しでも 良きことのために
その個性が活かされ
お役に立つよう 願い 造っている


備前焼

ただ 土で形を作り
ただ 薪で焼き上げる

釉薬をかけて飾るわけでもない
ただ その窯(環境)の中で育つ

窯の中で 炎の情熱が伝わり
その者たちの内部で何かが変わる

柔らかくなり動きが激しくなり
そして堅く結びつき 形を固める

その炎の情熱が 意味するモノとは何か
その深遠なる念いは分からないけれど
この地球の中心にも熱がある
我々の中心にも熱がある

その熱が表現しようとしているもの
その情熱とは何なのかは分からないけれど

そのわき上がった情熱が
今は冷め 今は ただ そこに在る
しかし、そこには 秘められた情熱が在る

その情熱は使われ 活かされる事で 
その見えない姿を現すことになるのだろう




一つの窯がある
一つの時代が在る
一つの社会が在る

その中で その個性を活かし 
その目的と その使命を果たそうと
多くのものが炎の中でうごめいている

しかして、その環境のものでしかない面もある
生まれ育ったその世界の中で
その空気に染まり
その雰囲気の暗示にかかり
自分を固める


その固められた自己を守り
その現実を守り
その事実も
その真実も求めようとしなくなる

その秘められた本来の素晴らしさは
表面の堅さにさえぎられ
出てくる事は難しい

その素晴らしさが出てくる為には
環境の暗示から解き放たれ
両目で見て深く考える事
使われる事 お役に立つ事
活用される事で 輝くことになる

さあ 炎の情熱をいかにして伝えん
炎に込められた情熱をいかにして共有せん


両手を使う

物を見るのに両目を使い
粘土で器を造るのにも両手を使う
そして、何かを考えるのに両方の脳を使う

左脳は、論理脳 右脳は、感覚脳
この二つがクロスし体全体を統御する
この十字架には大いなる神秘が隠されているようだ

なぜ、両手を使わないとうまく出来ないのか
比喩で言うならば
左右の手は別々に生きている各個人のようなモノ
本当は根っこでつながっているのに
それぞれが、バラバラに
勝手に動いていると なにも出来ない
両手が 隣人同士が助け合い、
協力し合う事で粘土は次第に形になってくる
両手を使わないと粘土が形になってこないように
両目を使わないと立体的に見えない
両方の脳を働かせないと うまく考える事が出来ない

左脳(論理脳)は、プラスかマイナスか、理で考える
右脳(感覚脳)は、好きか嫌いか、情で考える

結局は、理と情で、損得を計って生きている
目先の損得で動くのか
それとも、先を見据え
バランスの取れた選択が出来るのか 
この曲がりくねった山道を行くが如くの
人生行路の中で
片方しか働かさないと蛇行して
谷に落ちたりガケにぶつかったりすることになる

地震学の非常識

 専門家に対する不信が有る
宗教学、地震学、経済学、放射線、進化論
専門家でメシを食っている手前
中途半端な所で自説を展開しなければならないために起きてくる現象ではないのか
あたかも、天動説を信奉していた人たちと
似ているのではないのか

地震学の常識とされるプレートテクニクス理論
プレートの沈み込みでひずみがたまり
そのひずみが解放される事で地震が起きるという

はたして、本当だろうか

私の知る限り、
岩にしろ土にしろ、粘土にしろ岩盤にしろ
あのような力を貯めるだけの
弾性体としての片鱗を見た事が無い 知らない

山の土を動かしもしてみた
粘土を焼き上げ岩のようにもしている
確かにその中にひずみが隠されてはいる
乾燥中でも 焼成中でも
焼成後でもひずみがたまっており
ひずみが解放されて割れる事が有る
しかし、あれだけの被害を起こすほどの振幅は無い
だが、ガスが発生しふくれたり破裂する事はある

地殻というプレートが動いてはいるのだろう
その動きでひずみが蓄積されたとしても 
その岩盤 地殻は  
ただ崩れるだけ ただ割れるだけではないのか

断層であっても地震が起きたから出来たのか
断層が有るから地震が起きるのかも分からない
頭のいい人達がつくった理論なんだろうが
あの世と同じく現実に地下の様子を見た人はいない
これは、昔の天動説と同じ勘違いではないのか
余震が続く事を考えても信じがたい事だ

地震の原因は、原発事故で起きたような
水素爆発が原因ではないのか
高温のマグマに何らかの事情で水が大量に接触し
水素と酸素の気体となりマグマを押し下げる
そして何かのきっかけで爆発 また水に戻る
当然 マグマはすぐに押し上げてはくれず
空洞が出来ることになる

いったんは爆発力で地殻を跳ね上げるだろうが
上からは相当の圧力がかかっている
内陸部での爆発なら陥没もしにくいだろうが
これが海底に近い所で起きると
海水の重みで空洞は押しつぶされ陥没する
当然海面は下がり大海原は大きく揺さぶられる
津波が引き潮から起きる事が多いのもそのせいだろう

余震が起き続けるのも
この水蒸気爆発を繰り返す流れが出来てしまい
繰り返し爆発を起こしているのではないのだろうか
これ以外をイメージする事は出来ない

大きな力は小さな力の累積にある
土にからんで歪みを貯める力が
そんなに有るとはとうてい思えないのだ

ソクラテスの「無知の知」という認識を
再認識する必要があるだろう
すべてを知っている訳では無いのだ
知性の原点にかえり両目を開けて
知性の整理箱を認識の度合いで何カ所かに分けて
整理し直し作る必要が有るだろう

最初の前提を間違えれば、大きな誤算をすることになる
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