陰陽学

視覚の不思議

なぜ 両目で見ると立体的に見えるのだろう
なぜ 両目で見ると距離が測れるのだろう

空の星を見ても
机の上のコップを見ても
片方の目で交互に見た映像は
頭の中にクロスして映り込んでいる

左目で見たものは右へ
右目で見たものは左へ
そんな事で なぜ距離が測れるのだろう

片目で交互にコップを見ると
それぞれに左右の見えなかった所が少しずつ見える
ほんのちょっと見えない所を補って見る事で
なぜ 立体的に見えるのだろう
自動的に焦点を合わせる事も出来る
こんな仕組みを
天は 本当によく創り出したものだ

見えるということ
見るということは おおいなる神秘

この両の目だけではない
私たちの体を統御している十字架がある
その中に天の意図が込められ
この宇宙の神秘をかいま見る為の秘密が
隠されているのではないだろうか


大宇宙の念い

「進歩せよ、されど調和せよ」
宇宙の根本仏の念い
この念いで全ては始まった

進歩を目指し
自と他を分けられ個性が与えられ
個性の経験が時間を生み
自他の距離が空間を生みだした

個性は独自に進化し差別を生み出し
時には争いを起こす事となる
しかして、調和させる必要があった

タテ軸とヨコ軸
その時間と空間のつくる十字架
この宇宙の真実を語る神秘
この十字架が私たち人間の中にも
右脳左脳の体を統御する十字架の中
その両目の中に宇宙そのものの形が

右脳・左目は空間 調和を考え情で見る
左脳・右目は時間 進歩を考え理で見る

この両方を使わなければ
私たちの人生そのものも
正しく見る事は出来ないのだろう

現代社会は、片目で生きている
両目を開けて見なければ的を射る事さえ出来ないのに


宇宙の起源
大宇宙の始まりはビッグバーン 
宇宙は膨張を続け 
この膨張は星間の引き合う力で
加速度的に緩やかになると考えられていた

しかし、最新の天文学は、この宇宙が
さらに加速して膨張している事実を知る

覚者は、語る 「進歩せよ、されど、調和せよ」
原初なる大宇宙の根本仏が
この宇宙を創造するときに発した理念
その念いが、全てに込められているようだ

宇宙は全て、陰と陽で成り立っているともいわれる
どうやら この陰陽の起源は この調和と進歩にある
空間的なモノと時間的なモノ
全ては この対の二重ラセンで成り立っている
この宇宙の姿が 両目の中にも写されている
左目は、調和を見る(権利・空間・感覚的要素)
右目は、進歩を見る(義務・時間・論理的要素)
両目で見ると、色んな事が立体的に見えてくる

この宇宙が、いまだに膨張を続けているということは
宇宙は、さらに進化しているのだろうか?
とすれば、宇宙が進化し空間が拡大していて
その中身を埋める事が出来なければ  
さて どうなる

いま、日本は 調和ばかりを見ている
宇宙の膨張について行く事ができなければ
その身は引き裂かれる事となるのではないだろうか


フラクタル陰陽学

この宇宙には 互いに対立し依存し合いながら
万物を形成している陰・陽2つの気があるという
月と日・秋と春・北と南・女と男・情と理
また、陰陽道で言われるように
あの世とこの世・実存の世界と実在の世界
霊界(心象世界)と現象世界などの概念もある

陰陽は東洋だけのように思われがちだが
世界各地に古来からある考えのようだ

コンピューターを動かすゼロイチの二進法
これも陰陽の関係であり
二つの要素で様々な事を複雑に高速にこなす
そのコンピューターの世界で使われている
フラクタル理論という数学があり
直訳すると部分は全体と相似形を成すという
この陰陽とフラクタル理論が重なったのが
フラクタル陰陽学

マクロの世界とミクロの世界は似ている
私たちに組み込まれている 右脳と左脳がクロスして
全体を統御する仕組みの中に
この宇宙を知るヒントがあるようだ

陰(感覚脳)と陽(論理脳)の要素がクロスし
無限大のマーク「∞」の如く循環している
比喩として、相似形として
全てがこの十字架の中に込められている
陰陽の両目で見る事で世界が立体的に見えてくる
見えにくいものを見る事で本物が見えてくる


フラクタル陰陽学 A
フラクタルとは 数学用語 
翻訳すると、部分は 全体と相似形をなすという
ミクロはマクロと似ているという

世界には 互いに対立し依存し合いながら
万物を形成している 陰・陽二つの気があるという

物質の最小単位 素粒子も反粒子とペアで存在し
コンピューターも ゼロ・イチという二進法
高速で複雑な作業を簡単にこなす
バーチャル世界だけでなく このリアルな現実社会も
この陰陽の二進法で成り立っているようだ

陰陽とは
空間的なものと時間的なもの
空間要素が 情的なモノを司り
他者と自己の二極をつくる
時間要素が 理的なモノを司り
原因と結果の二極をつくる
空間距離と時間距離 ヨコ軸とタテ軸
左目と右目 右脳と左脳 情と理 マインドとスキル
心象世界と現象世界
イメージされたモノが 現実世界に現れる

たとえるなら 紙幣の裏表
書き込まれた数字(陽)を支える信用(陰)がある
価値あるものの裏面には 
説明も証明もしにくいが 必ずその原因がある
色即是空 空即是色 表裏一体のものがある
その価値を実在させている実存が有る
その目に見えない実存、その信用が消え去ると
実在している紙幣も 単なる紙くずとして消える

フラクタル陰陽学 B

世界は全て 陰陽の要素で成り立ち
この陰陽は 人の体を統御する右脳と左脳の
十字架の中にも刻印されているようだ

左目・右脳は陰 感覚脳 情で権利を見る(空間要素)
右目・左脳は陽 論理脳 理で義務を見る(時間要素)

人は 右脳左脳のクロスした十字架の中に
その体を統御する機能を持ち
物事を考える機能を持つ

どうやら、この十字架の中に
比喩として、宇宙の神秘が隠されている
「悟性 感性」「知性 理性」という徳分もこの中にあり
「認知 判断」「行動 結果」という流れ
「なにを なぜ」と「どのようにして どうなった」
5W1Hの流れもこの十字架の中にある
この十字のつくる4象限を無限大マークの形で流れる

その交差する接点
その思考を支えている世界がある
いつ(時間)・どこで(空間)・だれが(人間)
という宇宙がある
人生観の土台である世界観、宗教観がある
額にあるというチャクラとも重なり
仏教の三法印 諸行無常と諸法無我の交差する
涅槃寂静とも重なるようだ

この両目で
深く見て深く考える事で
世界の真実が立体的に見えてくる

 蛇行現象
宇宙は全てが陰陽で成り立っているが
現代は陰陽の流れが悪く蛇行している
破滅的現象が至る所で起きている

陰陽の流れを象徴的に見せてくれる場所がある
それは、右脳と左脳でつられる十字架の中
右脳は情(悟性感性)で考え
左脳は理(知性理性)で考える

この陰陽をクロスさせ その接点
額の中央に有ると言われる
チャクラで考える必要がある
しかし、多くの人は
ある時は情(陰)のみで考え
ある時は理(陽)のみで考える
色んな蛇行のパターンがある
個人レベルで そう・うつ病となったり 
社会レベルで サヨク思想・全体主義となる

ある時は、理屈を無視し、感情的になり
ある時は、内面の光を無視し結果にこだわりすぎる

原発事故などで見えない放射能に恐怖し
放射線ホルミシスという安全説を無視する

権利ばかりを追い求め
与えられている義務を無視する

成果ばかりを求め
そのために必要な原因造りをなおざりにする

与える事をおろしかにし
奪う事に恥じることはない

右翼左翼へと蛇行 
 人は、右脳左脳の十字架の中に
体を統御する機能を持ち 
物事を考える機能を持つ

今、時代は混迷し迷走する
それは、多くの人が片目で見て
片方の頭だけで考えているせいだろう

右目(論理脳)のプラスかマイナスか
義務(結果)ばかりを見
左目(感覚脳)の好き嫌い
権利(感情)だけで見る

右目(知性・理性)中心で
結果にこだわり
その反動で左目(悟性・感性)中心に見てしまう
左翼思想のように優しさを偏重する


表面的な結果だけを見過ぎ
ねばならないとして苦しみを広げ
優しく行きすぎて自虐的になる
右翼 左翼へと蛇行する

個人レベルで現れているのがソウ病とウツ病
社会レベルで現れているのが全体主義と社会、共産主義

片目ばかりで見る為に蛇行し
政治も経済も個人も
蛇行し多くの不幸を産み出していく

両目でバランスをとりながら
蛇行しないように見ていく必要があるだろう

両目で深く見る

現代社会は
あまりにも 目に見えないものを無視し
目の前の 分かりやすいものばかり見ようとする
深く見て 深く考えることをしたくないようだ

深く見て 深く考えると 無知を認めるしかない
自分の知性を否定されるとでも思うのだろうか
見えている範囲だけで
全てを分かっていると信じたいのだろうか

表面ばかりを強く見て
その価値を支える
裏にある見えにくいモノを見ようしないため
色んな価値あるモノが 消えて無くなろうとしている
深く見ようとしないため
良かれと思ってなした事が
前提の認識の間違いで 逆の結果を招いている
生命、財産ばかりでなく
魂の尊厳という高貴なるモノまでも奪っていく

知識もあり、経験もあり
立場もある人達が
間違った判断をする背景には
左脳(知性理性)だけを鍛え
右脳(悟性感性)を鍛える事を忘れていること
右脳左脳をクロスさせ連携して見ないこと
思考の原点の「悟性」に無関心なことがあるようだ

権利と義務
 
人には権利と義務が与えられている
これも陰(左目)と陽(右目)
情で見る権利(陰)と 理で見る義務(陽)
人は何かを選ぶ時この二つで見る
この二つは不即不離 表裏一体のもの

好きか嫌いか?      (権利・情)
プラスかマイナスか?   (義務・理)

権利(情)は、したい事 したくない事
義務(理)は、するべき事 するべきでない事
人は、この4象限で模索し
この4象限で向かう先を決める

情で見る権利は 分かりやすいが  右脳左目
理で見る義務は 分かりにくい   左脳右目


雷(イカズチ)が天と地に因子があり
そのエネルギーがほとばしるように
権利は内面から発し 義務は天から来る
義務 その天意が分かる為には
信仰心が必要であることは論を待つ必要は無い

無神論、唯物論の暗示にかかっている人たち
その恐るべき信仰無き人たち
神仏が 天が 我々を産み出し 育み
常に見守っている事を信じられない人たちにとって
人に科せられている その義務を見る事は難しい

本当の義務を見ないで 
人生の意味を見つける事は難しい
自らの存在意義を悟る事もない

 宇宙と人間は一体
宇宙と人間は一体

宇宙には、陰と陽
調和と進歩の理念が在る

進歩は、時間を顕し
調和は、空間を顕す

進歩には、因と果の流れが在る
調和には、自と他の別が在る

進歩は、タテ軸を顕し
調和は、ヨコ軸を顕す

この十字が渦巻きながら宇宙を創っている

その宇宙が我々の体の中にもある
右脳と左脳の創り出す十字架として刻み込まれている
右脳は、情を見るという
情とは、調和を願っているのか

左脳は、理を見るという
理とは、進歩を願っているのか

この2つの理念で この世界を見ない限り
我々の人生すら正しく見ることはできない
進歩の中で調和を計り
調和の中で進歩を願う

我々の心の中にある
純粋で無垢なる願い
どうしようもなく 心の奥に光り輝く希望
この光は おそらく神々が願われている理想そのもの
悟性という世界観
人は、考える時に
右脳と    (情・悟性感性)
左脳で考える (理・知性理性)
この陰陽のつくる十字架を光がめぐる

なにを・・・見て(悟性)
なぜ ・・・思って(感性)
どのようにして・・・行動して(知性)
どうなった、どうしたい・・・結果が出る(理性)

日々刻々 この四象限を流れ
人生を積み重ね 社会が積み重なっている
この四箇所のどこかに問題が有ると
マイナススパイラルを起こす事になる
結果(理性)に対する反省が成されないのも問題だが
一番恐ろしいのは、見方(悟性)を誤っている場合だ

どんなに良き思いで
適切に対応し行動したとしても
その前提が間違っていれば、どんなに努力しても
逆の結果が出てしまう
その対象の認識を間違うと正邪まで逆転してしまう

さらに悟性の中には 
この十字架を支えている世界観が在る
「いつ(時間)・どこで(空間)・だれが(人間)」
人生観であり世界観 思想、宗教観
ここに誤りが有ると、どうしようもない事態になる
この世界観が小さいと簡単に蛇行する
世間では色んな事が議論され
それぞれに意見が分かれるけれど
意見のくい違いの原因を奥まで探っていくと
この時所人の認識の違いがある

「人は、何故産まれ、何故生きて、
一体どこへ行こうとしているのか」
という問いに対する答えの違いが背景には有る

死後の世界の有無
天国地獄の有無
仏神の有無

瞬間か?永遠か?・・・時間
有限か?無限か?・・・空間
偶然か?必然か?・・・人間

この世界観が全てを分けると行っても過言ではない
この宇宙が狭くて小さいと
今・ここにいる・自分の判断が全てになる
そうすると 簡単に蛇行し 相争う事になる






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