人生

幸福

お孫さんを抱いて
幸せそうな笑顔をみせているご婦人に聞いた事がある
「今までの人生の中で、いちばん幸福な時期とは?」

もちろん
今がその時だと言われるのかと思っての事だった
しかし その答えは、
「もう一度やれと言われたら 二の足を踏むけれど
自分の子育ての時期が 一番幸福な時期だった」 

意外でもあったが 納得もした
そして いろんな人に同じ質問をした
異口同音に 同じような内容が帰ってきた

自分の存在が 必要とされ
自分の仕事が 子供とはいえ
他者の役に立っていることの意義

このことは 自分自身の存在意義とも深く関わって
人間とは何か? 何のために生まれ、
何のために生きているのか?
この問いに対する 答えでもあるのだろう

幸福とは 受けたモノにもあるだろうが
与える事が出来た中にこそ
その本質は  あるようだ   


緑の中で ぼんやりと

夕立の 煙が ほのかに白く
生きはやる緑を包む

ウグイスが啼いている
つい つられて口笛を吹く
答えるように ホーホケキョ

しかし 意味は不明
緑が沈黙している中
その思いを伝えようとでもしているのか

静寂の中
弱肉強食の世界は
動物たちだけでなく
植物の世界にも有る
太陽の愛を求めて
成長を競う
日が当たらなくなった枝は使命を終えて枯れ落ち
愛を受けられなくなった木々は
その命を終え山の肥料となる

心を止め 両目でゆったりと見やると
共存共栄 大調和 
素晴らしい世界が見えてくる

まさに 神々の芸術の中を生きている


信仰心と義務

人権人権と 
声高に言われるように
権利は見えやすい
これは比喩で表現するならば右脳的なもの
感覚的 好き嫌いの物差し
左目で見ていることだろう

もう一つは 義務
右目で見るべき左脳的なモノがある
論理的 プラスかマイナスかの物差し
しかし、この義務は むつかしい

この義務が 本当に分かるには
人間とは何か?
人は 何故生まれ 何故生きているのか?
この問いに答えを出さなければならない
唯物論 無神論 無宗教という世界観では不可能 
信仰心がなければ その義務を見る事は出来ない
その存在意義を知る事はない

神 仏 サムシンググレート ご先祖様 先人達
色んな存在の思いが この現象世界で具体化され
今 このような環境が与えられ
私たちは生きている
そうであるならば 義務を考えるとき
天意を見る必要がある
天意を探す必要がある 


幸福の本質

「人は、何のために生まれ、
何のために生きているのか?」
この人類永遠のテーマの答えは簡単な所にある

私は、土(地球)を使って器を造っているが
天は、土(地球)を材料に我々生命体を創り
魂を吹き込み、育んできた

私たちが粘土を使って作品を造るとき
何らかの「お役に立つように」と思いを込めるように
天も この地上生命を創るときに
おそらく 同じ思いを込めているはずだ
我々の存在に込められたる天意
我々の魂の中に込められたるもの
その魂の奥に刻まれた本能の中には
当然の如く「お役に立ちたい」という思いが有る

お役立ちの結果
他者の評価や報酬が現実には生まれる事になる
その対価がもたらされることになる

その目に見える成果、表面に現れた結果を
幸福そのものと見てしまうけれど
結果が生まれる前に すでに、その幸福の種はある


幸福になる義務
人は、成果である評価や報酬を権利として見る
そのような結果として得たものだけでなく
幸福になる事も権利であるかのように見てしまう

たしかに、自分を中心として見た時に
幸福になるという成果は権利のように見える

しかし、我々の存在が天意によって創られ
生かされ育まれているとするならば
幸福になるということは「義務」そのもの
親が我が子の人生を遠くから眺めているとして
願うは、子供達の幸福です

仏神が願っているのも全人類の幸福のはずです
幸福実現は天の願い
幸福になるという義務、その使命を果たす為に
各人に様々な権利が与えられている
個性を育み、磨き上げ、活かしていく事が
権利として与えられている

自己の存在や仕事を役立て価値あるものとしたい
自己を起点として幸福が広がっていく様を見たい
その存在意義を確認したい
そのような権利が与えられているのです

その権利を行使した結果、幸福になる義務がある
私たちがこの宇宙に存在している理由は
おそらく そこにある
宇宙を幸福で満たそうとしているからこそ
今、この宇宙は存在しているのではないのだろうか


義務
雷(イカズチ)
そのすさまじいエネルギーがほとばしるには
天と地に因子がある

人の持つ力も
そのエネルギーがほとばしるには
やはり、天と地に因子がある
その源泉は、権利意識であり 義務意識
権利は、内面から発し
義務は、天から来る

権利は、比較的分かりやすいが
義務、その本質が分かる為には
信仰心が必要であることは論を待つ必要は無い
無神論、唯物論の暗示にかかっている人たち
その恐るべき信仰無き人たち
仏神が 天が 我々を産み出し 育み
常に見守っている事を信じられない人たちにとって
人に科せられている その義務を見る事は難しい

本質的な義務を見ないで 
人生の本当の意味を知る事は困難
自らの存在意義を悟る事もないだろう

かくして権利意識のみが暴走し
やがてその光のエネルギーは弱くなる

幸福実現義務
人としての義務の本質を知らないために
幸福になる事を権利のように見る現実がある

陰陽の循環で見れば 権利が与えられている以上
出すべき結果としての義務がある
何らかのものを期待されているのだ

権利とは 幸福という結果を産み出すに必要なもの
人には、魂の向上を目指す権利が与えられ
個性を磨き 個性を活かす自由が与えられている
その権利を行使した結果、実現されるべき成果は
幸福なる世界の広がりだろう
幸福実現の使命が与えられている
自己も 周囲も 社会も素晴らしくする義務が有る
幸福社会の実現のためにその存在があり
その場が与えられている
そうであるにもかかわらず
幸福になる事を権利と見て自己中心的になる
与えられる事を待ち望み与えられない事で文句を言う

幸福を産み出す人が居なければ
幸福という生産物は生まれない
幸福を産み出そうと多くの人が努力しないから
幸福という生産物が社会に不足し不幸感覚を強める
その不孝を周りに責任転嫁して納得しようとしている

不幸なのは 自らを磨くという権利を行使しせず
幸福実現の義務を果たしていないからではないのか
「幸福になるいうことは、権利ではなく、義務である」
という論理を信じるべきだろう

考える

人が人生の舵取りをする時に
必ず二つの物差しが交差する

食事は大切だが食べ過ぎると問題も起き
ダイエットも大切だが過ぎれば体を壊す
勉強が嫌いでもしなければならないし
点数が大事でも学びの中に喜びも必要だ

お金は大切でも執着しすぎると心が苦しくなる
逆に 結果にこだわらなければ
単なる独りよがりにもなりかねない
何でも 結果ばかりにこだわると
心が苦しくなって長続きはしない

したくて、するべき事や
したくなくて、するべきでない事の判断は簡単だが
したくても、するべきでなかったり
したくなくても、するべき事も有り
そこで迷う事になる
したい事、したくない事
好き嫌いの感覚(権利)で決める事は分かりやすいが
プラスかマイナスの理性(義務)で見るは難しい
そもそも、何がするべき事で
何がするべきでない事なのか
時・所・人によって違ってくる

その場の違いで判断が変わるように
思想、宗教、世界観(時間空間人間認識)の違いは
色んな意見のくい違う原因ともなっている
常に二つの物差しを使いながら考える事と
その世界観の検証も さらに大切だ

 価値を支えているもの

大自然も片目で見れば
弱肉強食という厳しい世界
されど、両目を開ければ
共存共栄という事実も見えてくる

この両目で見るべき事象は、全てにあるが
現代の常識では片目がまかり通る

企業とは利潤追求のために存在するという
されど、その仕事、その生産物やサービスが
社会の役に立たなければ拡大再生産できるわけも無い
「社会貢献」(左目)と「利潤追求」(右目)
表裏一体で見なければならないのに
この簡単な理屈がよく分からないようだ
目に見えにくいものは無視されがちなために
結果だけ見てその原因を見ようとしない傾向がある
価値ある全ての存在には陰陽の両面があり
その目に見えている表面の価値を支える裏面が有る
裏には目に見えないけれど、認識もしにくいけれど
その価値を支えている内容が有る
素晴らしき内容がある
素晴らしき内容が背景に在るから価値がある

一万円札でも額面の価値を支えているものがある
表面に書かれた数字ばかりに気をとられ
裏面にあり その価値を支えている
「信用」なるものを無視するようだと
その存在は、その存在基盤を失い消えていく
単なる数字の書かれた紙切れとなる

表裏一体の価値

すべての価値ある存在には
その価値を支えている要素がある
一枚の紙が表裏一体で存在するように
その存在を支えている陰陽の両面がある

その価値の裏側に書き込まれている内容とは何か
その見えないモノ
その信用とは一体何だろうか

我々、人類の存在も
片目で見られている現状がある

ダーウィンの進化論
突然変異と自然淘汰の結果 
適者生存し進化してきたとある
されど、その進化なるモノが
価値あるモノであるならば
その価値を支えてきた原因が有る
その価値を支えてきた信用が有る
意志の力無く
土が器になることが無いように
仏神の意志、天の意志がその背景には有る
それ故に我々の存在が価値あるモノなのだ

我々の存在が価値あるモノであるのなら
それを支えているその意志の力を見ることなく
その意志の力を感じ取ることなく
その価値を維持していく事は出来ない
我々の存在価値は消えてしまいかねないのだ

あたかも、紙幣が単なる紙くずになるが如くに











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