フラクタルの森

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2012年11月20日

粘土でつくられる器も
あらゆる身の回りにある造形物も
シンプルに表現するなら
イメージ(思い)が具体化(行い)されているだけのこと
どんな高度な機械や道具であっても
多くの人々の思い(陰)と行い(陽)の連鎖の渦で出来ている
この法則は、自然界にも当てはまるだろう

大自然の造形物であると思われている
我々人間のこの体の機能や働きは奇跡です
これだけのモノが、思いを投げかけることなく
偶然に現象(行い)だけで出来るなど有り得ない事
イメージを投影している存在があるはず

この素晴らしき造形が、
その素晴らしき機能が
何ら意志の働きもなく完成するなど
一体誰が信じるというのだろうか
それは、思考停止の結果であり
天動説をいまだに信じているに等しい知性

粘土で造られた器であっても
作り手の思い、願いが込められている
人間という器でも同じだろう
神は、何故、このような人間を創られたのか
多くの人は、深く探求しないで生きている

その願いがいかなるモノであるのか
天意、神意を考えることなく
この人生を終えるとしたなら
その人生は、一体どんな人生なのか



フラクタルの森の基本図

私たちの体は、右脳と左脳がクロスしながら統御する
右脳は、感覚脳、左脳は、論理脳、知覚脳
これは陰陽の関係でもあり

きわめてシンプルに整理してみると
「思い」と「行い」に翻訳もできる

「思い」の前には「見る」がある
「行う」には「結果」が付いてくる

この右脳左脳の循環が2重ラセンの如く渦を巻きながら
時とは、物事を考え、行動する

物事を考えられるという事は、言葉として表現可能であり
面白い事に、このクロスする十字架にその言葉を当てはめる事が出来る

いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どのようにして・どうなった(どうしたい)

この諸要素が、人体を統御するシステムの中に比喩として組み込まれ人生の舵取りもする
陰陽の十字架で作られる4象限と、それを支えている世界観
このクロスした十字架の諸要素を埋める事で立体的に見えるとするのがフラクタル陰陽学







左右に整理し陰陽の関係を示す図  (両目で見ませんか)

この4象限を満たす事で物事が立体的に見える
ひとつ、例として「ダーウィンの進化論」を当てはめてみよう
「環境の変化で、突然変異し、その変異が適者生存する事で、自然淘汰され、進化してきた」
   なにを・・・・・進化論について
   いつ・どこで・だれが・・・・・環境の変化により
   どのようにして・・・・・突然変異を生み、その変異が適者生存する事で、自然淘汰され
   どうなった・・・・・進化してきた
これには「なぜ」がない。
「なぜ」とは、原因であり、動機であり、思いでもある
「なぜ」(目的)を「どのようにして・どうなった」(目標)と混同するために起こしている勘違い
粘土で作品を作る時でも、必ず行動(陽)を起こす前には、必ず、思い、動機(陰)が有る
誰かが作ろうと思わなければ、その作品が作られる事は無い
どんな物事も、陰陽の2つで見れば「思い」と「行い」で出来ている
この大前提を無視し、あたかも、その変異が偶然に起こっていると考えている人達が居る
これは「なぜ」を繰り返さず、深く考える事を停止させているにしかすぎない
人智を越えた存在の思いの投影無くしてあらゆるモノが存在する事は不可能
信仰心無く、仏神などといった自分自身を越える存在など認めたくないという気持ち
頭が良く優秀な高学歴な人達の中で起きる事が多いようだ (唯物論・無神論・左翼思想)
なぜ?を繰り返すと、結局は、「わからない」に行き着く
「無知の知」を認めたくないという事は、ようするに、愚かになっているという事
結局は「ダーウィンの進化論」は愚かな論理であり、
経済なども、この陰陽の作る4象限に入れて考えれば簡単な事なのに
ここでも、同じような理由で思考を停止させ愚かな判断を繰り返す

目的と目標を混同し表面的なお金の流れだけしか見ない為に   (結果主義・右目だけ)
「企業の目的は、利潤追求」と見て蛇行させる
正確には「社会貢献という思い(理念)が目的に有り、その結果目標に利潤追求が有る」
社会のお役に立ちたいという思いが、社会を少しずつ良くし、国民の生活を支えていく
陰陽無く水や電気が流れないように、経済が流れ成り立つわけは無い    (経世済民)


4象限に経済要素を入れてみる(結果から入れていくと入れやすい)

どんな事でも一番関心の有る「結果」から入れば良い
その為にどのような事が必要なのか
順番に掘り下げれば良いだけの事である
その掘り下げを十分にしないで
目の前の結果で、脅したりスカしたりしているのが現代の知性であろう
そんな人達が、頭が良さそうに見えたりもする

しかし、それでは、愚かな知性としか言えないだろう
ソクラテスの「無知の知」
何故?、どうして?を繰り返し、自己認識として分からない所まで到達して初めて
本物の知性の門を開ける事が出来る


4象限をもっと解りやすい図にする

この図は、右左脳のクロスした十字架に対応させて社会構造を考えてできたものです

仕事商品やサービスを生み、国民の生活を支え潤いを与え ・・・・陰    
       その代金が国家を支え国民の給与を生み生活を支えている ・・・・陽
             そして、その給与が仕事を支えている

この単純な構造が理解できれば、税(増税)と社会保障(充実)の一体改革では
全体の山の高さを低くして
全体の税収を減らし、社会保障自体も破綻していく事が分かる
ブレーキを踏むべき所でアクセルを踏んで
無事なわけは無い



フラクタル陰陽学 (陰陽曼陀羅)

陰  (空間的・右脳左目的・感覚的要素)・・・悟性O、感性B
陽  (時間的・左脳右目的・論理的要素)・・・知性A、理性AB

もっと直感的に言うならば
陰・・・・心で考える事
陽・・・・頭で考える事

粘土で作品を作る時も
心で作る部分と 頭で作る部分がある
陶芸体験教室などでの説明で 
普通は 頭で作る部分の
どうやって作るのか、作り方の説明だけで終わる事が多い

心で作る部分の説明は
簡単に言うと「楽しんで作ってください」となる

しかし、本当は、このところが一番重要
これは、単に陶芸だけではなく
人生すべてで無視出来ない部分です

すべては、思い(陰)があって
具体的な行い(陽)が生まれ結果が出る以上
思いの中身をよく見る必要が有る

一番してはいけない事は結果主義
心の中に頭で考えるべき事を入れる事

結果(果実)は大事なのだが、
結果にこだわりすぎ
思いの中身(種)が固くなれば
良い果実は生まれない

種だけでなく、その種が蒔かれる畑も重要です
種は、感性
畑は、悟性
これらは、右脳的要素であり
目に見えている茎や葉、果実を支える
一番重要な所です

現代社会は、知性、理性の
左脳的要素だけ鍛えた人達が牛耳っている
これは、非常に恐ろしい事だと知るべきなのです
彼らが、マスコミも、政府も、官僚も支配している

心で考えるという所がおろそかにされている為に
逆に、優しさを偏重する気分が生まれます
サヨク思想です
世界観(いつ時間どこで空間だれが人間)
ここの認識が小さい故に蛇行する考え方です

世界観が狭い為に
多くの方々は、自分の考えの正しさに安住してしまう
世界、前提が違えば違った見方、考え方が可能なのです
世界観が狭く、小さいと
どうしても、いったん思いこんだモノにしがみついて頑固になる

昔の、天動説と地動説
多くの人は、間違っているモノを信じていた
現代では、偉人として知られる
ソクラテス、イエスキリスト
彼らも多数決のもと処刑されている

この現代でも
多くの人達が、間違った思いこみの中にある

フラクタル陰陽学では
陰陽がつくる十字架の中に全てが在るとして
その4象限に関連要素を入れる事で
物事を立体的に見る事を推奨しているが

より簡単に言うとするなら
複眼で見る習慣が必要だとしています

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