1頁目 序 牧野富太郎 前言 小泉源一郎 緒言 吉野善介 凡例 |
2頁目 目次 目録(本文) |
3頁目 採集地名一覧 採集者氏名解 臥牛山の植物 図版 正誤表 奥付 |
4頁目 地方名抜書 |
序 吉野善介君は備中高梁町の一薬舗の主人である、資性植物に興味を有ち従て其知識 涵養するに勉められた、其為ねに久しき以前私の許に同君が同州で採集せられた植物の標品を送り来て 其の名称を尋ねられたのを発端とし其後今日に至るまで時々互いに質問応答を続けて来た、 又、先年両度同州で植物講習が開かれた時は大に会のために尽力せられ親しく私に接して其知識の増進を図られた、 此久しき歳月の間同君は種々の新植物を同州に発見せられ其れが皆学者の検定によりて世界的に発表せられたものが 少なくないばかりでなく従来全く不明なりし同州所産の植物が同君不断の努力によって 頗(すこぶ)る世に明かになった、其品種の中には同君の功績を称える為めに其種名に同君の姓を取って Yoshino と したものも幾つかあって其等は皆此世の有らん限り永く遺りて同君を記念するものである、 此の様な訳で備中の植物と言えば何時も先ず吉野君の名が連想せらるる、 實(まこと)に同君は備中植物を始めて世に明かにせられた第一の功労者であると謂っても誰も 此れを否定する人は無いであろう、 今回同君は多年の研究を纏めて備中植物誌を作られ其れが世に公になると云う事は誠に 同君の為めにも同州の為めにも又学問の為めにも慶賀措(お)く所を知らざる一快事で 私は諸手を挙げて其の学を賛えし且同君を祝福せざる得ない、 又併せて今回此植物誌出版の為めに快く出資せられし並に其発行に同情を寄せ親切に 其等の件等に就き斡旋せられし方々に対しても慎んで茲(ここ)に敬意を表するものである 昭和四年三月八日 東京 牧野富太郎
前言 此植物目録の著者吉野善介君は備中の人なり、 郷国を中心として四近の植物探求に志すこと此に二十余年なり、其間氏は本業の傍ら生活と苦闘しつつ 南船北馬の採集旅行は察するに余あり、されば北境の深山、南方沿海地方の如きは未だ氏が本懐の採集を 充分決行するに到らざれども今回此に一先従来の結果を纏め一千三百七十余種を得たりと云う。 氏の此目録を制するや採集せる植物は一々皆中央の専門家に訂し然る後に採録せしものなれば其精確なる 点に於ては正に前原氏肥後球磨植物目録に好一封なり。 備中は中国の中心にして此植物区系を代表するものの如く、 又日本植物化石を含む最古の地層を有する我国唯一の処として日本植物地理学上最著甚なるのみならず 特産の品類亦(また)決して少からず、大略二十余種を算すべし。 日本コンロンたる中国の植物区系地理が支那中部又は満鮮の夫れと深き関係ある事実の明白となりしも 吉野君の不断の努力により中央に材料を致せし結果に負う所甚だ多く氏の功績の為め 氏が新に検出する所の特産品に氏の記念名を命じくたるものに下の十種あり。 Elaeagnus Yoshino Makino Rhammus Yoshino Makino Geranium Yoshino Makino Paraixeris Yoshino Nakai Rubus Yoshino Koidz. Cirsium Yoshino Nakai Salix Yoshino Koidz. Pyrus Yoshino Koidz. Pyrus Zenskeana Koidz. Eriocaulon nipponicum forma Yoshino Naoki 是等は盖(けだ)し氏の功績を不朽に伝うるものと云うべし。 昭和三年十一月 小泉源一 識 :小泉源一郎から脱字
緒言 此小著は備中国に自生する顕花植物と羊歯植物とを自然分科の下に列記したもので 各科に於ける種類の排列は学名の「アルファベット」順に依って居る。 備中国は山陽道の中部の稍(やや)東寄りに位する東西約そ九里南北約そ二十里略長方形をした国で、 北は中国脊梁山脈を隔てて伯耆国に接し、西は備後国に隣り、南の一方は瀬戸内海に瀬している。 国内は備中山脈の支脈が縦横に連亘し、其間国の中央を北より南へ貫流する高梁川とこれに注げる数多くの支流とが 各処に峡谷を作り、南部に於ては狭い沖積平野を成している。他勢、南より北へ向かって次第に隆まり、 国の北端なる阿哲郡の北境には八百「メートル」及至一千「メートル」位な山々が起伏し、 其最高点は伯耆国に跨れる花見山で標高一千一百八十八「メートル」と成っている。 予は郷里、上房郡高梁町(国の略中部に位し、高梁川の東岸に在りて四五百「メートル」内外の峰巒(みね)に囲まれて居る) を中心として多年植物を採集したが何分業余の 道楽仕事なので存分の調査も出来ず従って其れも郷里に近い処程詳密な代り遠いだけそれだけ疎略になって居るのを免かれない。 今後もっと広く阿哲北境や深山幽谷や南備沿海地方などを捜したならば此目録に漏れた多くの種類が見付かるであろうと思う。 予は備中植物の調査取りも直さず日本「フロラ」の開明の為めに熱心なる斯道研究家の出で、 予の蒐集の上に幾多の増補刪訂を加えられんことを切望する。 予の、採集品を検定せられ且つ其調査研究に就いて終始懇篤なる指導を輿えられたる理学博士牧野富太郎氏、 理学博士中井猛之進氏、理学博士小泉源一郎氏に対して厚く謝意を表します。 又羊歯植物に就いて理学士兒玉親輔氏に、禾本科に就いて理学士本田正次氏に懇示を受けたる事が少くない、 併せて茲(ここ)に深謝します。 昭和三年十二月 吉野善介 識 此書を上梓するに当たり、恩師牧野、小泉両博士より親しく序文を賜り又小泉博士が梨の二新種の記文を輿えられたる事、 執れも著書の光栄として感謝する所です。尚お此書の出版に就いて種々同情ある斡旋の労を執られ 又進んで資金の拠出を辱うせる諸君子並に諸友達の厚誼に対して深く謝意を表します。 昭和四年六月 吉野善介 識 (著者の写真) じょうぼうざさ(Sasa bichuensis Makino)の群落と著者 (昭和三年一二月備中国上房郡松山村佐興谷奥にて撮影)
凡例 学名は各恩師の直接示教せられたるもの及び松村博士の植物名鑑に拠り、植物学雑誌、 植物研究雑誌其他に於て改訂せられたるものは夫れに従う。 産地は随所に在る普通品には之を省き然らざるものには採集地の二三を挙げたり。 唯一箇所の産地を記したるもの必ずしも稀少品と看破すべからす、 此等の中には調査の進むに従いて各処に見出さるるもの多かるべし。 予が採集せざるものなるも其の所の所産を確認し得るものは皆加えたり。 此等には、その採集者の氏名を括弧内に記す。 外国より渡来して自生繁殖せる植物には括弧内に其の原産地を記す、例せば(原、北米)の如し。 新種又は分布上珍奇とすべきものには特に略説を附す。 更に其詳状を知らんとする士に便せんため学名の次に其発表せられたる文献を註せり。 -(植雑)は東京植物学会発行の植物学雑誌。 (植研雑)は牧野博士主筆の植物研究雑誌。 (新植図)は松村博士監修の新撰植物圖編。 (理大紀)は理科大学紀要。 (大樹誌)は中井博士の大日本樹木誌。