方谷駅
 
 
 1873年(明治6年)方谷先生は、「備中玉島港より伯州米子港に至る車路開通と陰陽を結ぶ道路建設の重要性」を提唱されました。これを三島中洲が鉄道敷設論に発展させました。
 その後、1918年(大正7年)敷設が決定され、1928年(明治3年)に全線開通の運びとなしました。
 この付近は、人家もまばらで鉄道省は当初信号場(列車の行き違いや待避のための駅)を考えていたようですが、中井、豊永、法曽、北房等の村が協力して運動したので、駅を設置することになりました。駅名について鉄道省は、当時人名はつけないことになっていたため「西方」「長瀬」「中井」等とするつもりでしたが、この地一帯は、先生が「長瀬塾」開いておられた所でもあり、何としても方谷先生の名前を残したいとの一心で陳情に陳情に重ね「方谷というのは、西方の谷のことで人名ではない」との苦しい言い訳けの末、とうとう当時全国唯一の人名の駅となったのです。なお、当時の鉄道大臣小川平吉氏は倉敷ゆかりの人で、この人の陳情が決めてになったそうです。
 この駅は、2011年(平成23年)7月25日文部科学省により、当時出身の幕末の儒学者山田方谷先生ゆかりがあり、伯備線開通当時の駅舎づくりをよく伝えているとの理由で、「国の登録有形文化財」となりました。
 

  
 
    
       

緑ゆたか 落ち着いた山里
 
 春は山桜  初夏にはホタル
  
  山田方谷ゆかりの史跡が残る里

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